
まだ社会に出たばかりだった。
18歳の自分は、「車が好き」──それだけで板金塗装の世界に飛び込んだ。
給料は安い。でも、楽しかった。
給料はクソ安かった。でもそれでもよかった。
実家暮らしで、自分の生活費だけならなんとかなる。
今の時代なら無理だろう。
でも当時は車も持ってたし、それが普通だった。
時代は確かに、変わった。
「見て覚えろ」しかない現場
この業界は、丁寧に教えてもらえる場所ではなかった。
部品を外し、見よう見まねで叩き、引っ張って形を整えて塗装する。
教わるんじゃない。「見て盗め」が全てだった。
それでも、自分は苦じゃなかった。
夢中になって、感覚で仕事を覚えていった。
「やべーやつ」と働く日常
職場の空気は悪くなかった。みんな優しく、和気藹々。
ただ、社長だけは、クセが強かった。
ある日、車の引き取りで社長とセーフティローダーに乗った。
低速車なのに無理やり追い越しをかけていく。
まじでこの人、やべぇな…
好きだから、続けられた
でも、不思議と働くことが苦じゃなかった。
車が好き。それだけがモチベーションだった。
寝不足でふらつきながら働いても、気づけば1日が終わっていた。
地獄の始まりは、新しい“あいつ”だった
ある日、職場に新しい人が入ってきた。それが地獄の始まりだった。
とにかく、うるさい。文句ばかり。否定の嵐。
明らかに八つ当たりだった。ストレスの捌け口。
でもそんなこと、こっちには関係ない。
限界を超えた日
毎日、否定され続けた。
もう無理だ。どう考えても無理。
突き飛ばすか、自分が辞めるか──その二択しかなかった。
退職。誰も助けてくれない職場だった。
相談しても、誰も動かなかった。
だから、自分で決めた。もう行かない。
そしてニートへ。だが、それでいい。
そこからしばらく、ニートになった。でも、それでよかったと思っている。
あの環境にいたら、自分が壊れていた。
むしろ、生きるために必要な決断だった。
【まとめ】逃げたんじゃない。生き残ったんだ。
逃げたんじゃない。自分を守るために抜け出したんだ。
俺にしか、書けない。
社会のルール? 常識?
そんなもんで飯は食えない。家賃も払えない。
生き延びること。それがすべてだった。
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